川根本町民インタビュー
【川根本町民インタビューvol.8】殿岡邦吉さん(猟師)
「なぜシカをとっているのか、とつねに自分に問いかけてみる。複雑っちゃ複雑だで」
静岡県川根本町出身・生まれてから今日まで町内在住
わたしの暮らす家の土地には畑や果樹があり、その周りには森がある。両者は同じ地平のうえでさりげなく繋がっている。シカやサルは、ごくごく日常的に、こちら側へと姿を見せる。熟れた梅をほおばったり、空き家の屋根の上を駆けまわったりする。ある日、花壇に大切に植えたいろいろの花のうち、パンジーだけが喰いちぎられていた。茎の半ばから上がごっそり無くなっていた。遺棄された下半分は見るも無残だった。シカとヒトの倫理はときに噛み合わない。同じような矛盾(それはヒト側から見れば被害と呼ばれる)は規模を大きくして、いたるところで繰り返されている。
獣害を防ぐ存在として、この町にも猟師がいる。若い女性の猟師が多い。先日、そのうちの一人に頼んで、家の周りに罠をいくつか仕掛けてもらった。数日後の朝、雌の小鹿が一匹かかっていた。近づこうとすると、彼女は逃げようと必死にもがき、ときおり動きをぴたりと止めてこちらをじっと見つめた。駆けつけた女性猟師は、自分はまだ新米だからとことわったうえで、仕留めるために「師匠」を呼ぶと言った。夕方、私用から家に帰ると、現場はすでに静まっていて、すべては終わっていた。あとから一枚の写真が送られてきた。軽トラの荷台、横っ腹に書きつけられた「R6.1.29」、首のあたりから流れだした血だまり。はたしてその中間には何が起きたのか。わたしは師匠と呼ばれるその猟師に興味が湧いた。その師匠というのが殿岡邦吉(トノオカ クニヨシ)さんだ。
その呼び名から勝手に想像していた人物像をさらに上回って、殿岡さんは師匠然としていた。長く白い髪、豊かな口ひげ。絡みあった糸をときほぐすように丁寧に、そしておだやかに話し、ときおり二秒前の自分の発言にたいして「ふぉっ」と笑った。罠の見回りに同行させてもらったが、作業は淡々と進んだ。十カ所以上の罠を周ったが、その日動物はかかっていなかった。殿岡さんは気にしていないようだった。明日かかるかも、明後日かかるかも、一週間後かかるかもしれない。するべきことは、毎日(ほんとうに毎日)、午前の巡回を欠かさないことだけだ。休みはない。いざ獲れたとして、その先にはいくつもやることがある。解体・加工・販売。ゆくゆくは地産地消のジビエ料理として提供するモデルをつくりあげなければならない。猟師歴50年を超えてなおその姿は現役である。その熟成されたキレのようなものがうまく伝われば幸いです。
※見回りに同行した日に動物がかかっていなかったため、仕留める瞬間に立ち会うことは出来ず、またそういった写真もありません。仕留めるどころか、写真に動物は一匹も登場しません。そういう日もあり、むしろそういう日の方が多いということです。ご了承ください。
獲物を求めて猟師へ
― まずは猟師になった経緯から伺いたいです。
子どものころからこの町に生まれ育って、自然の山・川からいろんな恵みをいただいてきた。当時は束縛されたものがないっけね。子どもでも魚を釣ったり、罠を仕掛けて小さい鳥をつかまえたことがあるだよ。子どもの仕掛ける罠だから、枝とタコ糸だけでできる簡単な罠。この辺では「くびっち」ていうだよ。首をはさむんだよ。そういう罠のつくり方をわんぱくの先輩から継承していくわけね。学校行く前に山にセットして、帰りに山に通う。小動物も獲った。それを子ども同士で羽根をむしったりして、BBQみたいにして焼いて食べたこともある。
命を軽視しているわけじゃないけれど、あくまで獲物という感覚。自分の技量で捕らえた以上は自分が喰う権利をもっているような、そんな気持ちではいたよね。獲るための手段を講じて手に入れた戦利品。手に入れた動物を捌いて食べるというのは、至極当然のことだっけよ。
すべてそれだと思うよ。猟の根本にあるのは。そのものを獲るために、工夫なり努力なりをして手に入れたものだから、感覚としては獲物なんだよね。そこにはそこにしかない満足感がある。そういうものを欲しいと思うからこそ猟という行為をするんだと思うよ。
成人したころに、やはり山の恵み、究極は動物を手に入れてみたいという欲望があったわけね。両親に相談したら、銃をやることを薦めてくれた。20歳の時に銃を持ち始めて、持ったからにはベテランの猟師さんのもとで猟のことを勉強しようと、富沢という集落の西山さんという猟師さんのもとについた。当時はめずらしいアメリカンビーグルを持っていた。そこで本格的にウサギ猟を習ったんですね。林業の人がスギ・ヒノキを植林した時代で、その苗がよく食べられていたんだよね。
西山さんは当時50歳くらいで、ベテランだもんですから、すべてのノウハウが分かっていて。どういう餌場があり、犬に追い出されたウサギはどういう風に逃げるか。ウサギには回帰性があるから寝屋のところにいずれ戻ってくることとか。全部が全部は理解できないんだけど、猟というのは、罠だけでなくて、動物の習性や山の地形、犬の性質であったり、すべてのノウハウを備えたうえでやるものなんだな、ものすごく奥の深いものなんだなとは感じましたよね。
しだいにシカの被害が増えてきて、シカ猟に移行していった。猟の目的も、何年かやっているあいだに、自己満足だけで猟をやっていていいものかどうかというジレンマが出てきて、ただ楽しむ猟から、被害を減らす猟というのが主になってきた。最近では被害を抑止する猟がほとんどだね。
狩りの瞬間
― 一概に猟や狩りといっても、そこには知識だけでなく、やはり野生の直感のようなものも必要になるのですか?
知識、技術はいくらでも教えられる。あとは動物との対話だよ。動物がどんな気持ちで、どこをどういう風に歩くかということを感じとる。
― それはどうやっているんですか?
どうやって俺が見極めているかっていうのは、俺が分からん。肌で感じるっちゅうやつだよ。足跡を見たときに、こう踏んでいるということは、次の足跡はここだなというポイントがすぐ想像できちゃう。そういうのは理屈じゃない。どうしてそうなのか、俺も分からんもん。そういうのは体で覚えるしかない。罠の仕掛け方とは違う。
要するにいかに山を自分のものにするっちゅうのかな。山から、足跡ひとつから、どれだけ情報を取れるか。それをどう想像力で発展させていくか。それを積み上げていくことによって、猟の形が確立されていく。それにはある程度の年月や経験が必要になってくる。
最近ではもう辞めたけど、昔はよく巻き狩りに行った(※巻き狩り:集団で行う猟のひとつ。集団は二手に分かれる。一方(セコ)が猟犬とともに山に入って獲物を追いだし、もう一方(マチ)が事前に予測した逃げ道で待機し、獲物を仕留める)。そのときリーダーの人が俺にフリーに動けって言うだよ。マチへ付かず、自分の思うところへ自由に向かえと。俺は俺なりに考えて、ポイントを絞って向かう。するとズバリ当たるだよ。
― 実力者だ。
同じ山を歩くにしても、積極的に情報をとるための分析をしながら歩いた人と、ただ歩いた人の差は歴然としている。やっぱ積み重ねだよ。そのなかで自分の勘、想像力が磨かれていく。
動物の命を奪う論理
― 動物との対話といえば、捕らえられた瞬間の動物はどういう感情なんですか?
それはもう、どうしましょう、だよな。しまった!だよな。逃げたい、っていうのしかないよ。でも逃げられない現実がある。
罠師っていうのは見回りに行って、そこに獲物がかかっていれば、勝負ありなんだよ。猟師たるものは、罠にかかって勝負が決まった動物を、見のがすことは絶対にない。捕獲して命を奪って駆除をするという仕事の一環としてやる以上は、かわいそうだとかいう情けは、あるけれども出さない。もう勝負があった以上は、諦めてもらうしかない。
― もう勝負はついているんですね。情けをかけようとかけまいと。
全然シカなんて可愛らしいだもん。ペットみたいなもんだもん。それが逃げたくて必死に暴れている。なのに無下に命をとっちゃうんだから、考え方によっては残酷っちゃ残酷だし、非情っちゃ非情さ。でも猟師っちゅうのは目的があるんだから。いまは被害防止で減らしましょうという一連の流れの中での行為なのであって。仕事として割り切るしかない。心を鬼にして、楽な命の取り方で、すみやかに終止符を打たせる。それが猟師の仕事なもんで。
あくまでも動物を捕獲するのは特定の人、猟をやる権利を持った人なのよ。罠の許可、銃の許可を持っている人が、動物を捉える権利を持っている人。権利を持っている人がそれを遂行しないのは意味がないわけだ。
― 特権の自覚から義務も生まれてくる。
お百姓さんがいくら困っても、動物を殺して自分の身を守るということはできない。特権がないんだから。
― 見回りのときも何人もの農家の方に「いつもありがとう」と声を掛けられていましたね。
あの人たちは、ネットを張るとか、電柵を張るとかでなんとか守ろうとしているけども、守り切れない。我々が有害駆除として捕獲することで、守られる。捕獲する人は特定の限られた人。その人たちが狩りをするかどうかで、農家さんたちは救われるかどうかが変わってくる。だから捕獲する権利を持った人にほんとうに感謝をする。それがいまの猟師の形になりつつある。
― まるでおまわりさんのようでした。
動物と人間の世界の境界線の抑止力なんだよ。だから俺は山の上の方には行かないじゃん。道路から少しあがったところしかやっていない。畑にくる動物は、その周辺にいる。そこを捕らえないと意味ない。だから里山でしかやらない。山の上で獲っても、被害防止にはならない。
― こういってはなんですが、殿岡さんは言葉の解像度がとても高い印象を受けます。
自分に嘘をつけないタチだで。なぜシカをとっているのか、とつねに自分に問いかけてみる。いろんな考え方が自分の中にあることがわかる。被害防止って一概に言っているけれど、本当にそれだけなの?と。最終的に若い連中にジビエづくりを引き継いでいくための途中段階にあるんだから、お肉を手に入れなければならない。お肉を手に入れるために猟をすることもあるんじゃないの?と自分に問いかけてみる。被害防止っていうのはたしかに大動脈なんだけども、いいお肉が欲しいという欲望もある。狩り自体の満足感もある。一概にいい格好して、有害駆除をしていますというわけではない。でもそりゃあ人間だで。いろいろあってあたりまえだし。聖人君子じゃないんだから。だもんで複雑っちゃ複雑だで。
弟子をとる
― 弟子を数人取られていますよね。皆さんまだ若い。(20代前半の女性猟師が4名)
数年前、彼女らがたまたま移住してきて、猟を覚えたいと。ちょうどコロナ機で、都会から脱出してローカルなところに住む方がいよいよ究極の時に生存率が高いと思うんです、と言っていた。自給自足までいかなくとも、自分たちでとったりつくったりして生活するためのベースを持っているといないとでは、自分が生き残れるかどうかが変わってくるのではないかと。彼女たちにとってはそういうことの一環として猟があるんだと僕は思っているんだけど。
僕自身はさほどに危機を感じているわけじゃないけれど、いろんなところで災害が起きる時代に、食料に困ったとき、シカの取り方は知っている、魚の釣り方もわかる、鳥も獲れる、という、要するに狩猟採集民族の原点が分かっていれば、自分と周りの人の役にすこしは立つかなという意識はあるね。
俺はサバイバルもだいぶやったから究極は知っている。火の起こし方も、雨露のしのぎ方も分かる。トイレもお風呂もつくっちゃう。そうやって魚を釣っていた時代があったから。これから彼女らにもそういうことを教えていこうと思っている。もちろん無理に覚えろとは言わない。覚えたいといったことについてはなるべく教える。押しつけはしない。でも彼女たちが生き方を自分で確立して、楽しみながら生きていくベースになるんじゃないかなと思っているよ。
― 殿岡さんはどこでも生きていけそうですね。
俺はもう無人島に行っても生活できる。普通の生活にこだわりがないから。状況が変わったら、そこに合わせていくことができる。
要するに余裕っちゅうのかな。生活や時間に余裕があるというわけじゃないんだけど、気持ちには余裕がある。気持ちに余裕がないと、すべてのことに二の足を踏む。肯定的に捉えることができなくなってくる。田舎のゆっくりした流れの中で冷静に見ると、物事はそうそう悪いことばっかりじゃないんだよ。
― でも意外とそれが難しい。
それはプライドであったり、生活に追われていたり。いろんなことを許せない気持ちがあったり。人間はいろいろ複雑に絡み合っているから。
都会にはひとつのことへの見方が田舎の何倍もある。百人いれば百の意見がある。それに翻弄されちゃう。自分の考えがいろいろな情報を受けて揺らぐだよ。それだと自分の本質じゃなくなる。でもこういうところ(川根本町、ひいては田舎一般を指して)では、ひとつのことの見方はそんなには変わらないんだよ、早い話。
大切なのは自分がどう見るかなんだ。自分がよかれと信じていること、それはやっぱりいいものなのよ、人が何を言おうが。だからそれは自分の気持ちとしてしっかり持つ。その上で、いろんなことぜんぶを受け入れる素直さ。それを持っていれば楽だよ。受け入れりゃいいだもん。
人っていうのはね、成長してくると、自分の中にものさしをつくる。価値観とか常識だとか、そういうものさしを。勉強をして知識が深まるほど、定規は強固になっていく。それは金属製で、収縮もない。でもその定規が環境に当てはまるかというのは非常に難しいところがあるじゃん。
そこで俺は考えた。定規はゴムがいい。俺の定規はね、長くもなるし短くもなる。俺のはゴムだから。流動性、柔軟性というものがないと、人生は楽しくない。たとえば俺は田舎育ちだから都会はしゃらくさくて嫌いだという定規を持っていたら、あなたを受け入れられないじゃん。でも俺のはゴムだから、都会からわれわれの知らない知識を持った人が来てくれる、それなら、あぁ、取りこんだ方がいい、となる。弟子だって取る。50年かけて培ってきた知識も技術も、望めばなんでも惜しみなく提供する。そういうことをむしろ望んでいる。俺はもうフルオープンじゃん。
人生が一冊の本だとしたら
― 殿岡さんの場合、培ってきたものは猟だけではないわけですよね。
もともとうちは宿をやっていただよ。宿を幹として、そこからいろいろと枝葉を伸ばしていった。猟師というのはいろいろあるなかのひとつ。陶芸も釣りも、それなりに突きつめてきた。
すべて長くこつこつやってきた。やるにおいて、100パーセントの力は入れない。余力を、長く続けるための力に変える。いきなり飛びつくのではなく、どういう下準備や知識をもっていればいいかを考える。
なにごとも興味を持ったら準備。で実践。いきなりっていうのはないんだ俺は。生き方として。準備がないと実りは薄いよ。うわべだけ分かったことになっちゃうじゃん。本質を垣間見るまでやるには、ある程度知識をもってからでないと。で、そこを見てしまえば、やるならやる、引くなら引く、それを選べばいい。自分のなかで納得ができれば、それでいい。
要するに人生が一冊の本だとしたら、俺はページを増やしたいんだよ。ふつうは100ページかもしれない。でもそこを、300ページ、400ページと。いろんなことを自分で経験して、知識として蓄えておいて、求められたときには惜しまず提供できる、それが自分の人生だと思っているだよ。たとえば自分が80年間生きて、天に召されるときに、あぁ俺は十分いろんなことやったな、ある程度人に教えることもできたな、となったら満点だよね。
― 最後に、今後の展望について教えてください。
川根本町を地産地消のジビエ料理が食べられる町になるところまで持っていきたい。自分の施設をつくって、若い子らに解体のノウハウなどを教える。そこをまず確立させる。料理を作って売る人も必要になる。ここをこれから5年くらいにノウハウをすべて提供して、施設も提供して、販路も提供して、切り替えをする。若い人たちが、生活の3‐4割の収益を得られるようにして、引退する。それまで頑張る。まだ仕事の3割くらいしか出来ていない。いまは線路を引いている段階だよ。
子どものころ、実家が食料品店だった。俺は置き針で釣ったウナギを自分で捌いて、お客さんに売って、それでお小遣いを稼いでいた。結局はその延長がいまやっていること。せっかく努力して獲ったものを、自分だけが満足するんでなくて、周りの人にも提供して、それが喜ばれて、なおかつ収益になるっていう、それが理想の形なのよ。子どものころから、変わっているのは年を取ったくらいのもんで、生き方っていうのはそのころからあんまり変わってないだよね。
― 応援しています。お話ありがとうございました。
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Contact
殿岡さんの弟子たちが結成した任意団体。「森の番人がつなぐ里山の文化」をコンセプトに、獣害対策や有効利用の活動をしている。
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(インタビュー・文・写真:佐伯康太)
※前回のインタビュー
橋本立生さん(川根たっちゃん農園・川根香味園)
「この町が好きなんだよね。だからとにかく自分が食っていける形を示そうと思った」
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